大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪高等裁判所 昭和63年(ネ)1958号 判決 1989年9月29日

主文

一  原判決を取り消す。

二  京都地方裁判所昭和六二年(ヨ)第一四九号仮処分申請事件につき、同裁判所が同年二月一八日になした仮処分決定を取り消す。

三  被控訴人らの本件仮処分申請を却下する。

四  訴訟費用は、第一、第二審とも、被控訴人らの負担とする。

五  この判決は、主文第二項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  控訴人

主文第一ないし第四項と同旨。

二  被控訴人ら

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は控訴人の負担とする。

第二  当事者の主張

一  申請の理由

1  当事者

(一) 被控訴人村西博次(以下、「被控訴人村西」という。)は、昭和五二年二月に、被控訴人長谷川英一(以下、「被控訴人長谷川」という。)は、昭和五三年四月にそれぞれ日本国有鉄道(以下、「国鉄」という。)に入社し、いずれも梅小路駅において構内指導係として勤務していた。

昭和六一年七月当時、被控訴人村西は「切方」(貨車の入替作業)を、被控訴人長谷川は「空気制動方」(空制ともいう。貨車のエアホースの解結作業)を担務としていた。

(二) 控訴人は、日本国有鉄道清算事業団法(昭和六一年法律第九〇号)に基づき国鉄の各種承継法人に承継されない資産、債務等を処理するための業務等を行う目的で設立された法人である。控訴人は、昭和六二年四月一日、国鉄の本件訴訟の当事者たる地位を承継した。

2  懲戒処分の存在

国鉄は、昭和六一年一〇月一六日付で被控訴人ら両名に対し左記の事由に基づき「日本国有鉄道法第三一条により六月停職する。」旨の各懲戒処分(以下、「本件処分」という。)を発令した。

右懲戒事由は、いずれも「昭和六一年七月一三日一七時二九分ころ、勤務時間中管理者の注意を無視して勤務を放棄し、よって業務の正常な運営に支障を与えたことは職員として著しく不都合であった」というものである。

3  本件処分の事実関係

(一) 本件処分に至る経緯

(1) 国鉄は、昭和六一年六月二八日、大阪鉄道管理局長通達をもって人材活用センター(以下、「人活センター」という。)の設置を同管内に指示し、同年七月一日、「職々第二一一号」に基づき国鉄梅小路駅に人活センターを設置した。そして、同月五日から第一次分の五名の職員に対し、同月一〇日以降の人活センター担務指定通告をしたうえ、七月一〇日二名、同月一一日一名、同月一二日二名の各職員を一方的に人活センターに収容した。

(2) ところで、国鉄職員の勤務体制は、職員勤務基準規程三三条一項によれば、毎月二五日に翌月分の勤務予定表が公表され、同二項により勤務は四日前に確定し、同三項により勤務確定後やむを得ない場合は、一定の条件のもとに更に勤務の変更をすることができることになっている(ただし、同規程の効力は後記するように労働基準法三二条二項、四〇条に違反するものであるから無効である、というのが被控訴人らの第一次的な主張である。)。

梅小路駅の現場当局は、昭和六一年七月二日の段階において一方的な人活センター設置に伴う職員の担務変更を知ったのであるから、前記第一次の五名に対する人活センター担務指定をした後直ちに、六月二五日に公表した七月分の勤務予定表について再編成をすることが可能であった。そうすれば、勤務確定前の段階での一括変更をすることができた筈である。しかるに、当局は敢えて勤務予定表の再編成を行わなかった。

(3) このため、被控訴人両名の職場においては、たちまち七月一〇日から人活センターに収容された職員の勤務の補填を必要とする事態に立ちいたり、七月一〇日には人活センターに収容された饗場範男、園秀樹両名の勤務の各補填のため茂岡淳一、森神一男に対して勤務変更がなされ、同月一二日には同じく大久保輝男の勤務の補填のために高塚博に対して勤務変更がなされた。

このように、右補填のために勤務変更命令が乱発されるという異常な状態が発生した。

(4) 被控訴人らが所属する国鉄労働組合(以下、「国労」という。)梅小路運輸分会は、かかる事態について勤務確定前に一括して勤務変更して強権的な勤務変更命令を出すべきでないと申し入れをしたところ、高塚博に対する勤務変更命令に関連して、高原杜弥輸送総括助役は、今後業務命令の乱発はしない旨を約束した。しかし、七月八日の人活センター収容者以外の職員の勤務についての解明要求については現場当局はなんらの対応もしなかった。

(二) 本件処分の事実関係

(1)(被控訴人両名の予定表による勤務内容)

被控訴人両名は、事前に公表されていた勤務予定表によると七月一一日には一昼夜交代勤務(以下、「徹夜勤務」ともいう。)、一二日には非番、一三日には日勤で、一四日にはまた一昼夜交代勤務の予定であった。

(2)(七月一二日の経過)

被控訴人村西は、七月一二日(土曜日)朝まで徹夜勤務で職場にいたが何らの打診も受けなかったが、当時の自宅に帰宅していた午後二時ころ、梅小路駅の猪之俣助役から電話で「一三日(日曜日)に徹夜勤務をしてもらえないか」と意向を打診されたので、「一三日の晩は大事な用事があるから」といって断り、その後同人は外出した。右の際、同被控訴人は、右助役から他の職員に対する打診の結果や今後の勤務変更となりうる職員の有無等については何も聞かされることはなく、また右以上の説得や要請も受けなかった。

被控訴人村西は、同日、再度助役から右打診を受けたことはなく、両親への言伝も午後一〇時三〇分までに帰宅したら電話をしてほしい旨の内容であったため、右時刻以後に帰宅した段階ではとる術もなく明日に延ばしたのである。

被控訴人長谷川は、七月一二日朝まで徹夜勤務で職場にいたがなんらの打診も受けなかったが、当時の自宅に帰宅し、深夜となり就寝直前であった午後一一時ころ梅小路駅の藤井武元助役から電話で「一三日切方で徹夜勤務をしてもらえないか」と頼まれた。しかし、同被控訴人は、「昭和五九年二月のダイヤ改正以降空制の仕事のみをしていて切方は二年間もしていないので非常に危険がある。また、一三日の晩は用事があるから徹夜勤務はできない」等と述べて断った。その際、同被控訴人は、右助役から他の職員に対する打診の結果や今後の勤務変更となりうる職員の有無等については何も聞かされることはなく、また右以上の説得や要請も受けなかった。

(3)(七月一三日朝就業前)

被控訴人らは、七月一三日朝出勤し、たまたま点呼表、人員配置表を見たところ、被控訴人村西の一三日の勤務は切方の一昼夜交代勤務(徹夜勤務)、被控訴人長谷川の同日の勤務は空制の一昼夜交代勤務に変更となっていた。

被控訴人らは、右勤務変更について当局から何も命令されていなかった。被控訴人らは、一三日の勤務はいわゆる待命日勤であるため西部運転室で点呼を受けたが、本務に就く者は仕事の総合引継ぎがあるため必ず全員が一括して輸送本部で点呼を受けることになっていた。被控訴人らはいずれも明確に右勤務変更を命令されたことはない。したがって、輸送本部で点呼を受けるように指示されたこともない。

他方、被控訴人ら国労梅小路運輸分会の組合員は、同日梅小路駅の助役らに対し、被控訴人らに対する右勤務変更について、同人らには欠くことのできない用事があること、このように無理な勤務変更は、人活センターへの無理な国労組合員の収容に原因があるのだから、右センターへの配属を直ちに取り消すべきこと、少なくとも夜勤のできる条件のある者が人活センターへ配属させた者の中にいるのだからそれらの者に夜勤を命ずべきである旨を申し入れた。

(4)(七月一三日就業後)

就業時刻となったので、被控訴人村西は、藤井武元助役に日勤だけをすると言って、「切方」の仕事に就いたが、梅小路駅当局はこれについて何の異議も述べず了承した。

被控訴人長谷川は、藤井助役の了解のもとに西川辰己が空制の徹夜勤務に就き、切り方には藤井助役に言われて井ノ口良孝が入ったため、自らは本来の待命日勤をすれば足りることになった。

被控訴人両名は、終業時間の午後五時一〇分が過ぎたので終業し、職場から離れた。

(5)(七月一三日における被控訴人らの用事)

被控訴人村西は、昭和六一年四月婚約し九月一九日結婚式を挙げる予定であったが、一三日の晩は婚約者の家に行き結婚式や新婚旅行等の打合せをし、その家族とともに食事をすることになっていた。

被控訴人長谷川は、同日午後六時三〇分、高校時代の友人と同人の会社の退職問題について相談を受けるべく大阪梅田で待ち合わせをする約束をしていた。

4  本件処分の無効

本件処分は、被控訴人両名に対する七月一三日の勤務内容が日勤から一昼夜交代勤務に変更されたことを前提としてなされたものである。しかしながら、被控訴人両名に対する右の勤務変更の業務命令は以下に詳述するように、<1>そもそも存在せず、あるいは<2>右業務命令は無効であり、そうでないとしても<3>右命令は撤回されたものであり、<4>更には、停職六月という苛酷な本件処分は処分権の濫用により無効であるから、本件処分はその前提を欠くこととなり違法無効であることを免れない。

(一) 勤務変更の業務命令の不存在

被控訴人両名は、昭和六一年七月一三日、いずれも控訴人当局から同日の勤務を変更する旨の業務命令を受けていない(前記3(二)(2)(3)参照)。また、一旦勤務が確定した場合には、これを有効に変更する業務命令を発布したといえるためには、当該職員に対して勤務の変更を命ずること及びその理由を明確にして伝達されなければならない。しかるに、右要件を充たした業務命令は、本件では被控訴人らに対して発布されていないのである。したがって、被控訴人らは、一三日の勤務を日勤から一昼夜交代勤務に変更されていないので、これを前提とする本件処分は無効である。

(二) 勤務変更の業務命令の無効

(1) 職員勤務基準規程の無効

本件勤務変更の業務命令の根拠規程である職員勤務基準規程三三条は次のとおりである。

「一項 勤務予定表は、毎月二五日までに翌一箇月分を作成し、公表する。

二項 勤務は、四日前に確定する。

三項 勤務確定後、やむを得ない場合、本人の生活設計を十分配慮して勤務の変更を行うことができる。」

労働基準法は、労働者が健康で文化的な生活を営むため、労働者の健康を維持するため及び使用者の指揮命令から開放された自由な時間を保障するために八時間労働制という原則を定めている(本件当時の、昭和六三年九月二六日法律第九九号による改正前の同法三二条、三四条、三五条、三九条参照。以下同じ)。この例外を定める労働基準法三二条二項、四〇条は厳格に解釈適用されるべきは言うまでもない。しかるとき、同法三二条二項によれば、変形労働時間制を認めうるのは就業規則で具体的に定めた場合に限られるところ、控訴人の就業規則ではその三三条、三四条で抽象的に変形労働時間制を採用する旨を規定するのみであり、一日八時間、一週間四八時間を超えて労働する日、週が何ら特定されていない。実際には、職員勤務基準規程(昭和六〇・六・一〇職達六号)に基づく勤務予定表が右就業規則を代用しているのである。したがって、控訴人は、変形労働時間制を採用するについて労働基準法三二条二項が要求する要件をみたしていない。

仮にそうでないとしても、職員勤務基準規程三三条二項は「四日前の勤務の確定」を定めているが、これを労働基準法三二条二項ないしは四〇条に基づく同法施行細則附則二条のいずれによるも四週間前あるいは一二週間前の勤務時間の確定が要求されているところに違反し、無効である。使用者が一方的に制定する就業規則により、労働基準法に反した労働者に不利益な内容を一方的に命令することは許されない。加えて、一旦特定した勤務を更に当日になって一方的に変更することのできる右規程三三条三項は一層違法性の強いものであって、無効というべきである。もし、労働時間が具体的に確定した後に、使用者が業務の都合で自由に勤務を変更することができるとしたら、労働基準法三二条二項の法意は完全に没却されてしまうのである。

(2) 職員勤務基準規程三三条三項の要件の欠如

国鉄は、職員に対し一旦確定した勤務を変更するためには前示した職員勤務基準規程三三条三項に則りこれを行うべきである。すなわち、勤務変更をするためには、「やむを得ない場合」で、かつ「本人の生活設計に対する十分な配慮」をすることが必要である。しかし、本件においては、後記(3)(4)に詳述するように、右要件を具備する事実はなかったのであるから、国鉄は、被控訴人らに対して勤務変更を命じられないのにもかかわらず、敢えてその業務命令を発布したものである。これは業務命令権の濫用であり、無効なものである。

(3) やむを得ない場合の欠如

本件勤務変更が必要となったのは、前記したように、国鉄が七月一日梅小路駅に人活センターを設置し、ここに多数の国労組合員を収容したことに発端がある。具体的には、七月一〇日から人活センターに配属された饗場範男、園秀樹の両名の割り振られていた一昼夜交代勤務の穴埋めのためである。

人活センターに国労組合員を配属することは、業務上の必要性を欠き、同組合員を不当に選別し差別するためのものであって違法無効である。国鉄がかかる違法無効な業務命令を発し、かつそれに固執しているために生じた一昼夜交代勤務者の欠落は「やむを得ない場合」に該当しない。国鉄が右違法無効な業務命令を撤回すれば解決することだからである。

また、国鉄が饗場範男、園秀樹らを七月一〇日より人活センターに配属する旨を決定し通知したのは七月五日からであり、七月一〇日以降の勤務が未だ確定する前のことである。国鉄はその時点で同人らに割り振っていた一昼夜交代勤務に穴があくことを覚知できたわけであるから、事前に一括して勤務変更の措置をとることができたのである。このように、本件では七月一三日の当日に至り急遽勤務変更を命じなければならない突発性、緊急性はなかったものである。

したがって、右規程三三条三項に定める勤務確定後「やむを得ない場合」に該当しないことは明らかである。

(4) 本人の生活設計に対する十分な配慮の欠如

(a) 被控訴人村西が、七月一三日の晩に勤務できなかったのは前記3(二)(5)記載のとおり結婚を控えての挙式や旅行の打合せ等のためであり、被控訴人長谷川が同じく勤務できなかったのは右(5)記載のとおり友人との重大な相談のためであり、当日の朝勤務変更を言われても友人への連絡もままならなかった。現場当局の助役らは、被控訴人らが大事な用事があるといっても、これを聞こうともせず、被控訴人らの生活設計に対する配慮などは最初から無視していたのである。

被控訴人両名は、右のように助役らの電話での問い合わせに対してこれを断ったが、当時、その結果直ちに業務命令が発せられるなどの事態は予想もできなかったのである。もし、かかる事態が予想できたなら、より詳しく応答をしたはずであった。自宅で休暇をとっている被控訴人らは、電話の応対をするに当たり余り深く考えずに簡単に答えたことをもって、このような重大な意味を持たせることは不当かつ詐欺的な異常なやり方であり、誠意や信義のかけらもないというほかない。職員の理解と協力を求めるというのであれば、被控訴人ら職員が正直に自己の生活設計の有無・内容を申告するという職場の状態ではないと断定的に決めつけることはできなかった筈である。結局、控訴人の主張は矛盾したその場しのぎの議論でしかないのである。

(b) 七月一三日の徹夜勤務をすることができた者は、被控訴人両名の外にもいたのである。饗場範男、園秀樹は、人活センターに配属されたのであるが、一三日には担当助役に対し夜勤をしても良い旨を申し入れていた。右両名を勤務変更させるべく業務命令を出せばなにも問題はなかった。人活センターへの配属は担務指定であるというのが国鉄の主張なのであるから、右両名を従来の職務に従事させることについて就業規則上の支障は何もないのである。

(c) また、日曜日の夜は一番仕事量が少ないときであるから、助役で対応することもできた。現に梅小路駅東部運転室では二名の欠務者が出たため二名の助役が勤務について対応している。東部運転室でできたことが西部運転室でできないはずがない。

(d) 以上を見れば、現場当局は、被控訴人両名がそれぞれ大切な用事をもち、そして同人らに業務命令を出す必要もないのに、後記(e)記載の手順を踏まない前記事実関係のもとでは生活設計に対する配慮をしたとも言えず、これを無視して勤務変更を命じたことは明らかである。

(e) なお、職員勤務基準規程三三条三項の「本人の生活設計に対する十分な配慮」を尽くしたといえるためには、次のような順序を踏むことが必須であり、これを欠くときは右要件の具備は認められないのである。

使用者が、勤務の確定した後に任意に勤務変更に応じる者のいない場合に、勤務変更の業務命令を出す前提として職員の生活設計に対する配慮はどのようにされるべきか、が問題となる。具体的には、現場当局である助役は当該職員に対して用事の有無や内容を問いただして、そのうえで勤務変更の打診をすべきである。職員の用事等を聞く際は、直接本人に対し調査し、電話でするときも確実に調査できるようにすべきである。電話でうまく連絡のつかないときはその後会ったときに先ず用事の有無等を質問したうえで、業務命令を発すべきである。なぜならば、職員の生活設計への配慮をすべき義務のあるのは使用者であるから、当局側管理者は生活設計等の有無を問いただす義務があり、職員に右事情を申告すべき義務があるのではない。少なくとも助役は職員に対し用事の有無等を簡単に聞く程度のことはしなければならない。そのうえで用事の如何によっては業務命令を出さなければならないこともある旨の告知をしなければならない、と解するのが、右規程の目的に合致するのである。

(三) 勤務変更の業務命令の撤回

仮に、右命令が発布されたとすれば、被控訴人らに対する業務命令は勤務開始時点で撤回されたものである。

被控訴人村西は、前記3(二)(4)第一段記載のように、梅小路駅当局から一三日は日勤だけ勤めれば足りる旨の了承を受けた。被控訴人長谷川は、前記3(二)(4)第二段記載のように、当局が空制の徹夜勤務は西川に、切方は井ノ口に作業を指示したので、被控訴人長谷川に対する右業務命令は撤回されたのである。

したがって、本件処分は前記各業務命令の存在を前提とするところ、右命令はいずれも撤回されたのであるから、右前提を欠く本件処分は無効である。

(四) 処分権乱用による無効

仮に、本件勤務変更の業務命令が有効であるとしても、停職六月という本件処分は、以下に述べるように、その懲戒事由には事実誤認があり、これが認められないとしても、被控訴人らの当該行為との均衡を著しく失した社会通念上異常なものであるから、処分権の濫用として無効である。

本件停職六月の処分は、職員の出勤を禁止して就労を拒否するもので免職に準じたきわめて苛酷なものである。右処分に伴う職員の身分的、人格的、職業的不利益は重大である。被控訴人らは、右の処分により、昭和六二年四月に発足する新会社の要員として不適格であるとの烙印を押されたに等しく、雇用・身分上の不利益は甚大である。さらに、被控訴人らは、その職場が熟練とダイヤ等の知識を要求される危険な現業機関であることを思えば、六月という長期にわたり就労できないことは復職を著しく困難にするものである。

また、右処分事由には、次の重大な事実誤認があり、この点からしても停職六月という処分の強行は裁量権の逸脱である。すなわち、被控訴人村西は藤井武元助役に対し日勤だけはすると言って同業務に就き、被控訴人長谷川は藤井助役の了解のうえ本来の待命日勤をしたことは前記3(二)(4)記載のとおりである。

以上のほか、国鉄は、被控訴人らが職場を離れたことにより何らの実害を生じなかったことを認めながら、かかる苛酷な処分を強行することは、明らかな処分権の濫用であり無効である。

5  保全の必要性

被控訴人両名は、本件停職処分の発令によりその当日から仕事に従事しておらず、給与は基本給の三分の一しか支給されていない(就業規則一〇三条三項)。右両名は、賃金を唯一の資金とする労働者であるから、毎月の収入が基本給の三分の一になったのでは生活を維持していけないことは明白である。

6  よって、被控訴人両名は、右三分の一の金員と本来支払われるべき金員との差額分の支払を求めて本件仮処分の申請に及んだものである。

二  申請の理由に対する認否

1  申請の理由1(一)の事実は認める。

2  同2の事実は認める。

3(一)(1) 同3(一)(1)の事実は認める。

(2) 同項(2)前段の事実は認め(ただし、括弧内の主張は争う。)、後段の事実は争う。

(3) 同項(3)前段の事実は認め、後段の事実は否認する。

(4) 同項(4)の事実中、被控訴人らが国労梅小路運輸分会に属することは認めるが、その余は争う。

(二)(1) 同3(二)(1)の事実は認める。

(2) 同項(2)の事実中、七月一二日に梅小路駅の猪之俣助役が被控訴人村西の当時の自宅に居た同人に対し架電したこと、同日、藤井助役が被控訴人長谷川の当時の自宅に居た同人に対し架電したことは認め、その余の事実は否認ないし知らない。

(後記控訴人の主張2、(一)参照)

(3) 同項(3)の事実中、被控訴人村西の七月一三日の勤務は切り方の一昼夜交代勤務(徹夜勤務)、被控訴人長谷川の同日の勤務は空制の一昼夜交代勤務に変更となっていたこと、国労梅小路運輸分会の組合員は、被控訴人らに対する右勤務変更について同駅助役に対して被控訴人ら主張のような申し入れをしたことは認め、その余の事実は否認する。

(後記控訴人の主張2、(二)参照)

(4) 同項(4)の事実中、「被控訴人両名は、終業時間の午後五時一〇分が過ぎたので、職場から離れた」ことは認め、その余の事実は否認する。

被控訴人らは同日午後五時二九分ころ助役の説得に応じないで職場を離脱した。

(後記控訴人の主張2、(三)参照)

(5) 同項(5)の事実は知らない。

(後記控訴人の主張2、(四)参照)

4(一)  同4本文のうち、前段は認め、後段及び同項(一)の事実は否認し、その主張は争う。

(後記控訴人の主張3本文参照)

(二)(1) 同項(二)(1)のうち、就業規則細則職員勤務基準規程三三条の内容は認め、その余の法的主張は争う。

(後記控訴人の主張3、(一)、(1)参照)

(2) 同項(2)の法的主張は争う。

(後記控訴人の主張3、(一)、(2)本文参照)

(3) 同項(3)(4)の各事実及び主張は争う。

(後記控訴人の主張3、(一)、(2)、(a)、(b)参照)

(三)  同項(三)の事実及び主張は争う。

(後記控訴人の主張2、(二)、3本文参照)

(四)  同項(四)の事実及び主張は争う。

(後記控訴人の主張3、(二)、(1)、(2)参照)

5  同5の事実中、被控訴人両名が本件停職処分の日から勤務していないこと、停職期間中の給与が基本給の三分の一であること及びその金額は認め、その余は争う。

三  控訴人の主張

1  本件処分に至る経緯

(一) 梅小路駅の勤務体制

(1) 国鉄は、多種多様な輸送需要に応ずるため、その業務内容も複雑多岐にわたっており、当該業務の実情に応じて勤務体制が定められていた。その勤務種別としては、日勤、夜勤、一昼夜交代、三交代、特殊日勤等があり、梅小路駅の主要業務である貨車の入換業務は、手持時間が長く比較的労働密度が薄いことから、一昼夜交代勤務が選ばれていた。この一昼夜交代勤務とは、職員はある日の午前八時三五分から翌日の午前八時三五分まで拘束され、その間貨物列車等が入線したときには、貨車の入換等の実作業に携わっていたのである(なお、一昼夜交代勤務とは、連続二四時間の勤務と連続二四時間の非番とを交互に繰り返すものをいう。)

(2) ところで、国鉄の合理化・近代化施策の実施に伴い、全社的に見て各現場には所要人員を超える多数の余剰人員が発生し、殊に需要が激減した貨物部門においてはその傾向が顕著であった。本件梅小路駅もその例外ではなく、多数の余剰人員を抱えたため、駅職員が一昼夜交代勤務の本来の業務に従事するだけでは、一人当たりの労働時間が著しく短くなることから、労働時間を確保するため、それとは別に日勤勤務を設定し、国鉄の福利厚生施設である弥生会館の顧客名簿の作成及び構内環境整備等の業務に当たっていた。

(3) 国鉄職員の労働時間の確定については、就業規則細則職員勤務基準規程三三条に被控訴人ら主張のとおりの定めがあり(申請の理由3(一)(2)、同(二)(1)参照)、これにより従来から行われていたのである。すなわち、梅小路駅では、毎月二五日に翌月の勤務予定表を公表していたが、昭和六一年六月二五日にも同じように七月分の勤務予定表の公表があった。

(二) 人活センターの設置と職員の配置

(1) 人活センターは、昭和六一年六月二八日大阪鉄道管理局長の通達により各現業機関に対してその設置が指示され、梅小路駅においても同年七月一日設置された。人活センターは、前記した余剰人員が発生する切迫した状況の下において、右人員を集中し一括して有効活用しようとした施策であり、合理的なものであった。したがって、これを違法無効であるという主張は理由がない。

同駅においては、右人活センターへの担務指定は二回に分けてすることとし、第一回目は七月一〇日から一二日にかけて、第二回目は同月一七日から一九日にかけて行う予定とした。そして、第一回目分として七月五日、西部運転所属の饗場範男、園秀樹に対して、同月六日に輸送本部所属の上野浩一、西部運転所属の大久保輝男に対して、同月七日東部運転所属の苗村善則に対してそれぞれ事前通知を行った。そして、第二回目分の者に対しては同月一二日から一四日にかけて事前通知を行う予定であった。

(2) 被控訴人両名を含む梅小路駅の職員の七月分の勤務表は、前記のように六月二五日に公表されていたが、その後前項(1)記載のように、当局により人活センターへの担務指定(第一回目分)がされた結果、右指定を受けた職員の勤務については補填する必要が生じた。

(3) ところで、梅小路駅では、前記のように二回に分けて人活センターへの担務指定をする予定のところ(疎乙第八号証参照)、一回目の指定について一括勤務変更をしても、いずれ二回目の指定の際に再び一括勤務変更をしなければならず、それでは却って勤務予定の安定を欠くことになること、また当時国労は人活センターへの担務指定に強硬に反対し抗議を繰り返していたのであるから、一回目から一括勤務変更をすることは更に職場の混乱を増大させることが予想されたので、当初は第二回目の事前通知の終了後に勤務予定表の一括変更することとし、それ以前は必要最小限の個別の勤務変更を行うことで対処するつもりであった。

右のように個別の勤務変更を行う場合、それが勤務変更の乱発にならないかという点について見ると、梅小路駅では、職員の側からする勤務確定後の勤務変更の申出が多発していたものであり、徹夜勤務の例で言えば、月平均一〇件を超えていた(疎乙第三号証添付一覧表参照)。しかも、勤務変更は夜勤手当や非番の増加をもたらすので、これを歓迎する向きもあった。

(4) ところで、七月八日以降、被控訴人ら所属の国労梅小路運輸分会の職員が集会や管理者に対する抗議活動を繰り返す事態に立ち到ったため、止むなく七月一一日に同月一五日以降の勤務予定表の変更をし、第二回目分の人活センターへの担務指定は延期することとした。この結果、七月一〇日から同月一三日までの勤務変更のみが、勤務確定後になされることとなった。

以上によれば、梅小路駅の助役が、一括勤務変更をすることができたのにこれをなさずに、被控訴人らに対する勤務変更の業務命令を出さざるを得ない方策をとった等の主張の失当なことも明らかである。

2  本件処分の事実関係

(一)(七月一二日の経過)

(1) 被控訴人らの所属する西部運転では、七月一三日に当時人活センターへ配置されていた饗場範男、園秀樹の担務の補填をする必要があった。なお、六月二五日に公表された勤務予定表によれば、一三日の担務は次のとおりであった。制動長は饗場範男、制動方は山本勝美、切方は園秀樹、空制Aは西川辰美、空制Bは杉本幸正であった。

(2) そこで、梅小路駅の猪之俣幹雄、石川照英各運輸助役は、七月一二日一二時五〇分ころ被控訴人村西の自宅に電話して、同人に対し翌日(日曜日)一昼夜交代勤務をするように求めたところ、同人は「何いっているのや、勝手に人活センターを作っておいて今更勝手やろ、明日俺は日勤や、俺のところへ電話するのはお門違いや、尻拭いしたら皆に笑われる。」と答え、一方的に電話を切り、助役の求めに応じない態度を示した。

(3) 同駅の藤井武元助役は、同日二一時四三分ころ被控訴人長谷川宅に電話して、翌日西入換の切方で徹夜勤務をするように求めたところ、同人は「何で俺が徹夜をせなあかんのや、切方は長い間やっていないのでできない、空制ならともかく、何で俺が切方をせなあかんのや、とにかく徹夜はだめだ、日勤で出勤する。」と答えて、一方的に電話を切った。

(4) 梅小路駅の助役らは、後記3、(一)、(2)記載のとおり職員勤務基準規程三三条三項の定める要件を具えるべきことを承知していたので、被控訴人両名を含む翌日勤務の可能な職員多数に対し連絡をとるなどして、翌日に徹夜勤務を命じる者の選定を検討したところ、被控訴人両名は特に予定のあることを告げず、単に徹夜勤務を拒否するだけの態度であることが判明した。そこで、被控訴人らには特段の生活設計上の障害はないものと判断し、翌日の饗場範男、園秀樹の担務の補填は被控訴人両名の勤務変更をすることで対処することに決した。

七月一三日の担務は、次のとおりとなった。制動長は山本勝美、制動方は被控訴人村西、切り方は西川辰美、空制Aは被控訴人長谷川、空制Bは杉本幸正である。

(二)(七月一三日の朝就業前)

被控訴人長谷川は、同日午前八時二〇分ころ、梅小路駅西部運転詰所に出勤し、助役室で藤井武元助役に対し「昨日の電話はなんや。」などと抗議したが、同助役は、昨夜電話したとおり徹夜勤務をするように求めた。そこに、被控訴人村西が、入ってきて点呼表を見て「助役、今日の俺の勤務が何故徹夜になっているのや。」などと抗議をした。藤井助役は、被控訴人村西にも同様に徹夜勤務を求めたが、両名は当日は日勤である旨を主張した。

そこで、同助役は、就業時間である午前八時三五分の前である同時三一分に、被控訴人村西に対し西入換制動方の徹夜勤務を、被控訴人長谷川に対し空制Aの徹夜勤務をそれぞれ命じる業務命令を通告した。

これに対し、被控訴人両名は「そんなもの一方的やないか」などと言って自己の意思に反して業務命令を出したこと、人活センター設置の不当、職員配置の不当を内容とする抗議をした(その際、被控訴人両名は、いずれも自己に用事のあることを無視されたことについて抗議をしたことはない。)。更には、当日の非番者や待命日勤者など一二名程度の者が助役室に入って来て口々に抗議をした。被控訴人らは、同日、他の管理者に対しても抗議をしたが、管理者は業務命令どおり仕事に従事するよう説得を重ねた。

(三)(七月一三日の就業後)

被控訴人両名は、同日午後五時二〇分ころ、私服に着替えて退出しようとするので、同駅助役三名は、仕事に従事するよう説得し、このまま帰ると業務命令違反となる旨警告した。しかし、被控訴人両名は、これを無視して同日午後五時二九分ころ職場を離脱したのである。

(四)(被控訴人両名の用事、その他)

被控訴人村西は、一三日夜に婚約者と会う約束のあったことは同日退出時まで、助役に述べたことはなく、また同僚の間でもほとんど知られていなかった。一三日朝、業務命令を受けたときも、その後においても右用件を申告して右命令の撤回を求めたこともない。また、被控訴人長谷川は、夕方友人とあう約束のあること等は同じく助役に述べたことはなく、同僚間でも知るものはない(虚偽の言い訳であろう。)。

梅小路駅では当時人活センターの設置に伴う勤務変更について職員に打診が行われていた状況からして、勤務変更の打診ないし要請の意味は職員だれしもが熟知していたことである。しかも、右要請に対して所用のあることを言わなければ、勤務変更の業務命令の発出されることもまた容易に予想できたものである。それにもかかわらず、被控訴人両名は人活センターの設置に強く反対する立場から右要請に対し前記した対応をとったものである。

3  本件処分の適法性

本件処分は、前記した事実関係を見ると明らかなように、いずれも適法なものである。被控訴人両名に対する勤務変更の業務命令は前記三、2、(二)記載のとおり明確に発令されたものであり、<1>それは有効であり、<2>撤回されたことはなく(前記三、2、(二)記載の次第であって右業務命令を撤回したことはない。)、<3>処分内容の量定も相当であって処分権の濫用ではない。そこで、以下<1>と<3>について順次詳述する。

(一) 勤務変更の業務命令の有効性

(1) 職員勤務基準規程の有効性

被控訴人らは、労働基準法三二条二項違反を主張するが、控訴人の職員で特殊日勤または一昼夜交代勤務に就く者については、同法四〇条及び「労働基準法施行規則の一部を改正する省令」(昭和五六年二月六日労働省令第五号。同省令の一部を改正する省令、昭和六〇年三月二五日労働省令第五号)附則二条一項の「使用者は、労働基準法(以下「法」という。)第八条第四号の事業に使用される労働者(列車、気動車、電車、自動車、航空機等に乗務する者を除く。)で特殊日勤又は一昼夜交代の勤務に就くものについては、当分の間、法第三二条第二項の規定にかかわらず、一二週間を平均して一週間の労働時間が四八時間を超えない定めをした場合には、その定めによって労働させることができる。」旨の規定が適用されるのである。同法三二条二項がそのまま適用されるのではない。なお、右定めに該当する控訴人の就業規則細則職員勤務基準規程二八条は「一昼夜交代勤務の労働時間は、四週を平均して一週平均四七時間を基準とする。」と定めている。

また、当日の勤務変更は右規程三三条により認められているところであり、労働基準法三二条二項に反するものでない。なぜならば、国鉄の業務の特殊性に鑑みれば、変形労働時間制が適用される際、これを就業規則自体に具体的に定めることは事実上不可能である。そこで、前記職員勤務基準規程三三条において勤務割(勤務表)による旨の定めがある。この勤務の予定・確定のルールはもともと国鉄と労働組合との労働協約により認められたものである(疎乙第二〇号証二四八頁参照)。こうした沿革、内容、背景を考慮するとき、何ら労働基準法に反するところはないというべきである。

(2) 職員勤務基準規程三三条三項の要件の具備

国鉄は、被控訴人両名に対し一旦確定した勤務の変更を右規程の求める二要件に則り命令したのである。

(a) やむを得ない場合の該当性

被控訴人両名に対する勤務予定表の公表後、人活センターの設置と配置が行われることになったので、本件勤務変更の業務命令を発令するという事態に至ったのである。右人活センターの設置と配置は国鉄の前記した余剰人員に関する合理的な施策であるので、確定後の勤務変更も「やむを得ない場合」に当たる。

ところで、被控訴人両名は七月五日以降に勤務予定表の一括変更、編成替えができた筈である旨主張する。しかし、前記三、1、(二)、特に(3)、(4)記載の事情から、勤務確定後に更に本件勤務変更をしなければならないことになったのである。したがって、被控訴人両名に対する本件勤務変更は「やむを得ない場合」に該当するというべきである。

(b) 本人の生活設計に対する十分な配慮の存在

前記三、2、(一)ないし(四)記載の事実関係によれば、梅小路駅の助役が、被控訴人両名の生活設計に対する十分な配慮を尽くしたことは明らかである。被控訴人らは、右事情のもとにあっても尚十分な配慮を尽くしたとは言えないと主張するので、その不当性を指摘する。

まず、生活設計に対する配慮とは、職員の申告により生活設計の存在、その内容、重要性、変更可能性、その他を把握した管理者が、当該生活設計と業務の必要性、他の職員の生活設計相互の重要性等と比較検討する際の指針をいうものである。職員側の生活設計というものは、その性質上職員から管理者に対する申告をまたなければ把握できないものであり、その申告が真実でなければ、管理者は適正な判断ができない性格をもつ。したがって、勤務変更の打診を受けた職員としては、自ら積極的に正直に自己の生活設計の有無、内容を申告すべきであり、右規程はかかる労使間の信頼関係を前提として存立するものである。管理者が積極的に労働者の私用等をこと細かく聞き出すべき義務を定めたものでなく、管理者の勤務変更決定の際の考慮事項を指針として定めたものである。

そうであれば、管理者が当該職員について右判断をする際に、同職員に客観的に勤務変更の対象となる時刻に生活設計が存在することを必要とするのである。この点において、被控訴人村西は自ら用件を申告しないでいたため、助役はこれを知らず、被控訴人長谷川は用件の存在も疑わしい。被控訴人両名は、いずれも前日に梅小路駅の助役から勤務変更を打診されていたのに、両名とも自己の生活上の支障を何も告げずにいた。他に勤務変更を打診した職員は明確に帰省等の予定を告げてその理由を明らかにしているのである。更に、被控訴人村西は「尻拭いをすると皆に笑われる。」と述べて、人活センターの設置反対の立場から勤務変更に応じない旨を示唆したのである。

これに対して、梅小路駅において勤務変更の職員を必要とすることは業務の性格上必須にして明確であった。人活センターに配置された饗場、園を勤務させるべきであるとの主張は、同人らの補填のために勤務変更の要員の確保をしていたときに採ることのできるものでなく、主張自体失当である。また、助役をもって補填すべきであるとする主張も失当であり、梅小路駅東部運転室で助役が代行したことはなく代務者は運転主任であった。

以上の諸点を検討するとき、梅小路駅の助役が被控訴人両名に対して前記した打診の方法、程度は、次のような事情を考慮するとき、妥当である。つまり、同駅の労使関係は職員の生活設計を正確に把握するための信頼関係が十分でない素地があるうえ、人活センターの設置及び配置をめぐって労使が鋭く対立し、連日のように抗議行動が行われていた職場では、最善の方法をとったものというべきである。

(二) 本件処分の量定

(1) 本件業務命令違反の重大性

企業が、その目的を達成するためには、その人的構成要素である多数の労働者を一定の秩序のもとで使用しなければ円滑正常な運営は不可能である。近代企業は、多数の作業部門に多数の労働者の提供する労務を配置し、企業目的に副うように組織化している。労働者は企業内の秩序に従い企業計画に必要な労務を提供しなければならない。かかる企業運営上の必要性から、使用者は、労務指揮権を有するものであるが、これは、使用者が労働者に対して、使用者の指揮命令に従って労務提供をするように具体的指示を与える権限である。これにより、労働者が行動しなければ、企業秩序は維持できず、企業の正常な運営は不可能となる。

殊に、国鉄は、全国にまたがり定められたダイヤに従い、旅客・貨物の輸送業務を営んでいるものであり、列車の安全・正常な運行のため極めて多数の職員を種々の現場、営業、運転、施設、電気等の職場に配置し、定められた指揮命令系統に基づき、これを有機的に組織しているのである。ある特定の作業現場で管理者の業務命令に違反する行為が発生すると、列車の安全・正常な運行を阻害する危険が生じ、その影響は計り難いものがある。本件梅小路駅での被控訴人らの一三日の業務も、同駅に到着した貨車の仕分作業であり、これが正常に行われないと直ちに列車の運行に支障が生ずるものであった。特に、本件は国鉄当局が全社を挙げて職場規律の確立及び勤務の厳正を求めて取り組んでいた時期であり、それにもかかわらず業務命令を無視した被控訴人らの行為は強く非難されるべきものである。被控訴人らの職場放棄については、管理者がその職場を代務したため、不測の事態を回避したものの、被控訴人らの右行為はかかる危険性を孕んだ極めて重大な非違行為であり、右行為に対して本件懲戒処分がなされたのは当然である。

(2) 本件処分の相当性

日本国有鉄道法三一条一項には、国鉄の職員が懲戒事由に該当するに至った場合に、懲戒権者たる総裁は懲戒処分として、免職、停職、減給、又は戒告の処分をすることができる旨規定されている。懲戒権者がどの程度の処分をするかについては、当該所為の態様等諸般の事情を斟酌して、国鉄の企業秩序の維持確保という見地から相当と判断した処分を選択し、その量定をする。右判断には、懲戒権者の裁量が認められているのであるから、当該行為との対比において甚だしく均衡を失する等社会通念に照らして合理性を欠かない限り、当該判断は裁量権者の裁量の範囲内にあるものとしてその効力が否定されることはない。

これを本件について見れば、被控訴人らの行為はいずれも勤務時間の途中において職務を放棄し、管理者の度重なる制止及び警告を無視して職場を離脱し勤務を放棄したというものであり、国鉄の営む定時に安全に旅客・貨物を輸送するという業務の運営を阻害する危険の極めて高い悪質な行為というべきである。したがって、本件六月の停職処分はいずれも相当であって、裁量権の範囲内にあるというべきである。

四  控訴人の主張に対する認否

1  控訴人の主張1、(一)の事実中、(1)の一昼夜交代勤務の意味、(2)の日勤の意味、(3)の事実は認め、その余は争う。

同項(二)の事実中、申請の理由3、(一)の事実に符合する点以外は総て争う。

2  同2の事実中、申請の理由3、(二)の事実に符合する点以外は総て争う。

3  同3の事実中、申請の理由4の事実に符合する点以外は総て争う。

第三  証拠関係<省略>

理由

一  申請の理由1(当事者)(一)の事実は当事者間に争いがなく、同項(二)の事実は当裁判所に顕著な事実である。

同2(懲戒処分の存在)の事実は当事者間に争いがない。

二  本件処分に至る経緯

1  梅小路駅の勤務体制

<証拠>を総合すると、次の事実が一応認められ、右認定に反する証拠はない。

(一)  国鉄梅小路駅は、大阪鉄道管理局管内にあり、京都、滋賀地区の貨物営業の拠点駅であり、湖東、京阪、山陰地区の輸送基地として列車の入換業務等を行うところである。その職員数は、管理職約二七名、車両の入換業務等を行う構内業務をする運転事務関係職員数は約二一〇余名である。同駅の業務体制は、輸送本部(輸送総括助役高原杜弥、計画助役藤井忠)のほかに東部運転、中部運転、西部運転に分れており、西部運転では輸送助役として三名(藤井武元、猪之俣幹雄、石川照英)のもとに構内指導係被控訴人両名が属していた。

(二)  梅小路駅西部運転の本来の業務は、転てつ、制動長、制動方、切方、空制(A、B)の六出面で編成され、総て一昼夜交代勤務である。この一昼夜交代勤務とは、職員がある日の午前八時三五分から翌日の午前八時三五分まで拘束され、連続二四時間の勤務と連続二四時間の非番を交互に繰り返すものである。しかし、梅小路駅では本来業務だけでは所要員より現在員の方が多いので、余剰職員については日勤勤務(待命日勤)として国鉄の福利厚生施設である京都弥生会館の顧客名簿の作成をしていた。

(三)  職員の労働時間の確定については、国鉄の就業規則細則職員勤務基準規程(昭六〇・六・一〇職達六号)三三条は次のとおり規定している。すなわち、「勤務の予定・確定については、次の各号に定めるところによる。

(1) 勤務予定表は、毎月二五日までに翌一箇月分を作成し、公表する。

(2) 勤務は、四日前に確定する。

(3) 勤務確定後、やむを得ない場合は、本人の生活設計を十分配慮して勤務の変更を行うことができる。

梅小路駅でも、右規程に基づき毎月二五日に翌月の勤務予定表を公表していた。昭和六一年六月二五日にも同様に七月分の勤務予定表の公表があった。(以上の点については総て当事者間に争いがない。)

2  人活センターの設置と職員の配置を巡る状況

<証拠>を総合すると、次の事実が一応認められる。

(一)  国鉄は、昭和六一年六月二八日、大阪鉄道管理局通達をもって人活センターの設置を同管内に指示し、同年七月一日、職々二一一号に基づき梅小路駅に人活センターを設置した。同駅の同センターへの発令の範囲は山陰線である。具体的には、同駅の旧車扱貨物事務室である四号詰所をセンターの使用室とした。(以上のうち、大阪鉄道管理局管内での人活センターの設置指示、梅小路駅に人活センターを設置する点については当事者間に争いがない。)

(二)  梅小路駅の人活センターの担務指定は、二回に分けて行うこととし、一回目(七月一〇日から一二日まで、要員は後記五名)は梅小路駅職員を充て、二回目(七月一七日から一九日まで、要員は未定)はその外に山陰線各駅の職員も充てる予定を組んだ。一回目分の担務指定は、勤務確定前である五日前に事前通告書をもって通知するため、七月五日に西部運転所属の饗場範男、園秀樹に、同月六日に輸送本部所属の上野浩一、西部運転所属の大久保輝男に、同月七日に東部運転所属の苗村善則に各事前通知をした。(以上のうち、二回に分けての担務指定、五名の事前通告の点は当事者間に争いがない。)

(三)  右五名の職員に対する一回目分の事前指定に伴い同人らの七月一〇日から本来業務について勤務の変更の必要を生じた(ただし、待命日勤についてはさらに代替要員を確保して勤務変更を求める必要はない。)。しかし、梅小路駅当局は、<1>二回目分の事前指定を済ませてから全体的な勤務変更をするのでないと勤務の安定性を欠くこと、<2>国労梅小路駅運輸分会が人活センターへの担務指定に反対していたので始めから一括勤務変更をすると職場に混乱が生じること、<3>従前勤務確定後における一括勤務変更という操配をした例はなかったことの理由から、それまでの間の一回目分に伴う操配については個別的な勤務変更で対応しようとした。

ところで、国労梅小路運輸分会幹部は既に七月一日ころ人活センターの設置に伴う職員の配置問題を知っていた。また同月四日付同分会機関紙「うめうん」は、右センター設置反対と現場助役による勤務変更等に対する拒否を呼び掛ける旨の記事を載せていたが、七月六日から同駅職場では実際に人活センターへの担務指定に対し抗議行動(抗議集会等)が続き、助役らと職員間では意思の疎通を欠くような状況となった。

同月八日、右分会は、梅小路駅当局に対し人活センターの解明要求をし(疎甲第二〇号証)、同日付「うめうん」は、右センターへの一回目分の五名に対する指定と七月一五日から二回目分の指定があると見られる旨の記事を載せた。

もっとも、国労梅小路運輸分会は当局からの勤務変更の業務命令を無視し拒絶すべきことを組合員に指導したことはない。(以上のうち、人活センターへの担務指定に伴う勤務変更の必要性の存在は当事者間に争いがない。)

(四)  梅小路駅においては、従前勤務確定後の勤務変更は毎月一〇件以上の多きにのぼり、輸送助役はその操配が大きな仕事となっていたが、右勤務変更は当該職員の承諾のもとに行われていた。しかし、人活センターへの指定に伴う勤務変更については協力・同意を得られなかったので、西部運転における操配の責任者である猪之俣助役らは、七月一〇日朝、饗場範男、園秀樹の両名に替えて待命日勤者である茂岡淳一、森神一男に対し勤務変更(徹夜勤務)の業務命令を出し、右職員らは右命令に従い変更勤務をした。

ところで、梅小路駅助役は、前示したように二回目分の事前通告を七月一二日から一四日の間に順次していく予定であった。しかしながら、同月一一日、<1>大阪鉄道管理局による山陰線の各駅からのセンターへの担務指定者の未確定、<2>七月六日以降における梅小路駅での抗議活動等による職場の混乱が予想以上に大きく、さらに二回目分の事前通告をするときには職場の安定を保ち難いと判断して、前記管理局の了解のもとに二回目分の人活センターへの事前担務指定を中止・延期とし、既にした前記担務指定に伴う同月一五日以降の勤務変更については一括変更をした。そこで、操配をすべき助役は残りの同月一二日から一四日までの確定した勤務を変更して代替要員を探すという補填作業を個別に職員に打診して処理していくことになり、西部運転において猪之俣輸送助役らは、七月一二日朝には、大久保輝男の替わりに高塚博に対し前同様に勤務変更(徹夜勤務)の業務命令をなし、同職員は右命令に従い変更勤務をした。

(以上のうち、七月一〇日の茂岡淳一、森神一男への勤務変更・徹夜勤務、七月一二日の高塚博への勤務変更・徹夜勤務の点は当時事間に争いがない。)

以上の事実が一応認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

三  本件処分の事実関係

<証拠>を総合すると、次の事実を一応認めることができる。

1  七月一二日の経過

(一)  梅小路駅西部運転所属の輸送助役猪之俣幹雄、藤井武元、石川照英は、一三日(日曜日)午前八時三五分から一四日にかけての徹夜勤務の予定をされていた饗場範男、園秀樹が前示のように人活センターに担務指定(勤務変更)されたためその両名の代替要員を確保する必要に迫られていたが、対象となる職員は勤務変更に非協力的であったため、職員の協力を得る見通しは明るいとは言えない状況であった。

(二)  被控訴人両名は、六月二五日に公表されていた勤務予定表によると七月一三日は待命日勤、一三日は一昼夜交代勤務の各勤務が確定していた。右両名は、一一日から一昼夜交代勤務を勤め、一二日朝午前八時三五分これを終了し、同日は非番であった。(この点は当事者間に争いがない。)

六月二五日に公表されていた前示勤務予定表によると、一三日の一昼夜交代勤務である本来の業務としては制動長は饗場範男、制動方は山本勝美、切方は園秀樹、空制Aは西川辰美、空制Bは杉本幸正であった。なお、右作業のうちでは、空制、切方、制動方、制動長の順序で習熟を要するので、かかる点を配慮した担務指定をしていた。

一三日(日曜日)の当初予定の交代要員は、高塚博、井上厚、小山貞二であった。しかし、被控訴人両名は、当初一三日は待命日勤、一四日は一昼夜交代勤務の各勤務が確定していたので、被控訴人両名は一三日の当初予定の交代要員には含まれていなかった。

(三)  ところが、次の事情から右当初予定の交代要員には勤務変更を命令するのが相当でないことが判明した。

(1) 高塚博は、前示のとおり一二日朝から一三日朝までの徹夜勤務についたので一三日の交代要員からは外された。

(2) 井上厚は、一二日午前中に西部運転において、石川助役から翌日の徹夜勤務に従事できないかを口頭で尋ねられた。しかし、井上は、一三日日勤予定であったところ予め実家への帰宅を理由として休暇を申し込みその承認を受けていたので、「休みは母が病気なので子供を連れて帰る。」と言って断った。

(3) 小山貞二は、一二日午後五時過ぎころ、猪之俣助役から右同様に一三日の徹夜勤務の打診を受けたが、「一三日は行かなければならない所がある。予約してある。非番では無理。駄目です。」と言って断った。

(四)  猪之俣助役らは、右三名のほかにも次のように順次西部運転所属の職員に対し、一三日の徹夜勤務の打診を続けていた。

(1) 猪之俣助役は、一二日は非番であったため勤務変更の操配を中心となって行ったものであるが、同日午後一二時三〇分ころ、電話で 川和樹に対し前同様に打診したところ、同人は「先送りになるだけのことだし、一四日の徹夜はどっちみち誰かやらなあかんやろ。」と言って断った。同助役らは、同人が制動長の担務であったので、一三日に繰り上げると一四日の制動長担務の勤務変更の操配が難しくなると考え、同人に対する勤務変更はしないこととした。

(2) 猪之俣助役は、一二日午後七時三〇分ころ、電話で稲荷孝美に対し前同様に打診したところ、「一三日はどうしても用事があるし、駄目ですわ。」と断られた。

(3) 猪之俣助役は、一二日午後七時四〇分ころ、電話で井ノ口良孝に対し前同様に打診したところ、「一三日の夜はどうしても用事がある。一四日は申込休暇で都合が悪い。」と断られた。

(4) 石川助役は、一二日午前一〇時四〇分ころ、西部運転において中田正己に対し口頭で右同様の打診をしたが、「前月からの申込休暇でどうしても用事があるので駄目だ。」と断られた。

(5) 石川助役は、一二日午後八時五〇分ころ、電話で吉田正雄に対し右同様の打診をしたが、同人から「一三日、一四日は家庭の都合で子供を見るので駄目だ。」と断られた。

(五)(1) 被控訴人村西は、一二日朝徹夜勤務明けであり、職場で助役らと会った際勤務変更の話はなかったが、同日朝に高塚博に対する勤務変更の業務命令が出されたことについて助役に対し抗議をした後、非番のため帰宅した。

(2) 同日一二時五〇分ころ、猪之俣助役から電話があり、一三日に徹夜勤務をすることを打診された。しかし、被控訴人村西は「今日も朝何やかんや言っていたやろ(前示抗議した件を意味する。)。明日は俺は日勤や、俺のところへそんな電話をするのはおかど違い。」と言って断ったところ、次に石川助役が電話口に替わり「明日徹夜勤務してくれへんか。」と再び言ったが、同被控訴人は「何言うてんのや。勝手に人活センター作っておいて。今更勝手やろ。尻拭いしたら皆に笑われる。」と答えた。石川助役が黙ると、被控訴人村西は一方的に電話を切った。その際、被控訴人村西は、右助役らに一三日に用事のあること及びその内容のいずれも述べなかった。

被控訴人村西はそれから外出した。

(3) 猪之俣助役は、同日午後八時四五分ころ、再度被控訴人村西宅に電話したところ、同人は不在であったので、その父親に対し午後一〇時ころまでに帰宅したら職場に電話を欲しい旨を伝えて、輸送本部の電話番号を知らせた。しかし、被控訴人は父親から右の電話があったことを知らされなかった。

(六)(1) 被控訴人長谷川は、一二日朝徹夜勤務明けであり、同日は非番であったので、国労の事務所に行き午後八時ころ自宅に帰った。

(2) 藤井武元助役は、一二日徹夜勤務であったが、合間を縫って操配の仕事もして、同日午後九時四〇分ころ、被控訴人長谷川の自宅に電話をかけ同人に対し、「明日西入換の切方が足らんので切方を徹夜してくれ。」と打診した。同人は「何で俺が徹夜せなあかんのや、切方は長い間やってないのでできない。空制ならともかく、なんで俺が切方をせなあかんのや、とにかく明日は徹夜は駄目だ。日勤で出勤する。」と言って断り、電話を切った。

(七)  猪之俣助役、石川助役、藤井武元助役の三人は、一二日午後一〇時過ぎころ、輸送本部二階の一室で一三日の勤務変更の件を協議した。前示したように職員は予想通りこれに非協力のため任意に応じてくれる者はいないことが分かり、かつ各人の生活設計上の用件等についての事情も把握したので、申込休暇のものは従来の扱い通りに除外し、一三日の前後の操配上の考慮を加え、各人の生活上の都合を検討し、また職員の担務の習熟程度を併せ考えて、被控訴人村西を制動方、被控訴人長谷川を空制Aにそれぞれ勤務変更することを決定した。

2  七月一三日の経過

(一)  被控訴人長谷川は、一三日午前八時二〇分ころ、梅小路駅西部運転詰所に出勤し、助役室に藤井武元助役(前日から徹夜勤務)がいるのを見て「昨日の電話は何や。徹夜の入換勤務は二年間やっていない。断ったのに徹夜になっている。」等と抗議していた。そこに、被控訴人村西が出勤してきて、被控訴人長谷川に同調して抗議をしていたが、自分のことも気になり助役の机のうえに置いてある勤務予定表に替わる点呼表を見ると、自らが徹夜勤務になっているのを見つけ、驚いて「助役、今日の俺の勤務が何故徹夜になっているのや。こんなことできるのか。」等抗議をした。しかし、藤井武元助役は徹夜勤務をしてくれるよう求め、暫し後の午前八時三一分ころ、被控訴人両名に対し点呼表通りの勤務、つまり被控訴人村西は西入換制動方、被控訴人長谷川は空制Aの業務に就くよう業務命令を発した。

そこで、勤務変更後の担務としては、制動長は山本勝美、制動方は被控訴人村西、切方は西川辰美、空制Aは被控訴人長谷川、空制Bは杉本幸正と確定した。

(二)  被控訴人両名は、これに対し、一方的だ、人活センター設置したからこのようなことになった、変更前の者をセンターから戻せなどと次第に大声になって抗議をした。これを聞きつけた隣室の職員ら多数が集まり、右業務命令に対し抗議をし始めた。その際、被控訴人両名はいずれも一三日夜に用事がある旨の発言をしたことはなかった。午前八時三五分の就業時間の後も、右抗議は続き、午前八時五〇分ころ、猪之俣助役が西部運転助役室に来て、藤井武元助役から事務の引継を受け、両助役はともに右抗議に対処していた。

しかし、事態の収拾がつかず作業の遅れがでる虞れもあり、藤井武元助役は輸送本部の高原総括助役、藤井忠計画助役を呼び、同助役らは西部運転に来て、当日でも勤務変更はできる等を説明した。被控訴人両名を含む職員は、午前一〇時ないし一一時前ころまで抗議を続けていたが、その頃一応抗議行動を終わった。そこで、当直助役である猪之俣助役を残し、他の助役は輸送本部に戻った。

(三)(1) 被控訴人村西は、午後二時ころ、猪之俣助役に対し「俺はどうしても用事があるので日勤で帰る。」と述べた。同被控訴人は、その折用事の内容を説明したことはなかったが、右助役から用事の内容を尋ねられたこともなかった。猪之俣助役は、始めて「用事がある」旨の話を聞いたが、具体的な内容を話さないこと及びそれまでの経緯から単なる口実であると判断した。

(2) 他方、被控訴人村西は、その頃、竹下勝国労梅小路駅運輸分会副会長に「実は徹夜を拒否している理由は職場の仲間には内緒にしていたが、近く結婚するので今日は相手方の家に行くことになっている。」旨の話をした。そこで、竹下副会長はその後高原総括助役に西部運転助役室の横で「総括だけに言うが、村西君は今夜結婚を前提とした彼女に逢いに行く約束をしていた。」と告げたが、同助役は「そのような用事があることなど本人から何も聞いていない。」と答え、更にこれを他の助役らに連絡することはしなかった。

(3) 被控訴人村西は、同年九月一五日結婚式を挙げることになっていたため、七月一三日(日曜日)夜に婚約者の家で挨拶と打ち合わせをする予定であった。

(四)  猪之俣助役は、午後四時三〇分ころ、西部運転室で被控訴人長谷川に対し徹夜をしてくれと、同休憩室で被控訴人村西に対し同じように説得し、午後五時ころロッカー室で被控訴人長谷川に対し「帰ってはあかん」と言い、午後五時二〇分ころ、藤井忠計画助役、藤井武元輸送助役と共に、私服になった被控訴人長谷川と被控訴人村西に対し「今帰ったら業務命令違反になり、えらいことになる。」等と述べて説得したが、被控訴人両名は午後五時二九分職場を離脱した。

(五)  被控訴人両名の右時刻以降の業務は担当職員が欠けたので、制動方について藤井武元助役が、空制Aについては輸送本部の大塚当直助役がそれぞれ代行した。

以上の事実が一応認められ、<証拠>は前掲各証拠と対比するとき未だ採用できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

被控訴人長谷川は、同人には七月一三日午後六時三〇分頃、大阪梅田で友人との待合わせの用事があったことを主張する。しかし、右主張事実を認めるためには、<証拠>だけでは未だ足りず、他にこれを一応認めるに足りる的確な証拠はない。

四  本件処分の効力

被控訴人両名は、本件処分の効力を争い、先ずその前提となる本件勤務変更の業務命令の効力を争うので、前項認定の事実関係を基礎としてこれを判断し、その後本件処分の量定等について触れることとする。

1  就業規則細則職員勤務基準規程三三条の効力

被控訴人らは、前示した国鉄の一昼夜交代勤務が労働基準法三二条二項、四〇条に違反する旨の主張をする。しかし、まず労働基準法三二条二項について見ると、右の勤務形態は同法四〇条、労働基準法施行規則の一部を改正する省令」(昭和五六年労働省令第五号。その一部を改正する省令、昭和六〇年労働省令第五号)附則二条一項、就業規則細則職員勤務基準規程二八条(同規程は労働基準法八九条にいう就業規則である。)によるものであり、右法条に反するものではないことは明らかである。また、同法四〇条については、右勤務が労働基準法の例外として国鉄の特質に対応した旧来からの勤務形態として合理的なものと見られる内容であるので何ら右法条に反するところはない。

また、国鉄職員の勤務の予定、確定及び変更について定める前示内容の右規程三三条は、国鉄業務の公共性、特殊性、複雑性から合理的な内容を定めているものと言え、それは国鉄と国労との労働協約により認められたルールを規程化したという沿革(<証拠>)及び弁論の全趣旨により右ルールに基づきその後同条が運用されていたことを一応認められることを併せ考慮するとき、被控訴人ら主張のように労働基準法に反するところはない。

したがって、使用者である国鉄は就業規則細則職員勤務基準規程三三条の規定するところに則り労働者である職員に対し勤務変更の業務命令を発令し、職員はこれに従うべき義務がある。右就業規則の内容は個別的な労働契約の内容をなしているものである。そこで、管理者である助役から勤務変更の業務命令を発令された当該職員はこれに従うべき労働契約上の義務を負い、これを拒否した場合には懲戒処分を受けることになる。

2  就業規則細則職員勤務基準規程三三条三項の要件の具備

国鉄が職員に対しその勤務確定後に適法に勤務変更の業務命令を出すことができるのは、右規程三三条三項が「勤務確定後、やむを得ない場合は、本人の生活設計を十分配慮して勤務の変更を行うことができる。」と定めるところに則ることを要する。そこで、以下この「やむを得ない場合」と「本人の生活設計を十分配慮し」という二要件について検討する。

(一)  やむを得ない場合

前示事実関係によれば、梅小路駅助役は、被控訴人両名に対する七月一三日の勤務予定表が公表された後に、人活センターが設置されることとなり、職員の配置をすることとなった。同センターの設置は国鉄の余剰人員に対する施策であるから(その設置と目的が違法無効なものであることを一応認めるに足りる証拠は本件全証拠によるも見出し難い。)、これを遂行するため労働組合の反対抗議活動に対処しつつ職場の安定と業務の安全を考慮し、かつ同意のうえで職員の代替要員を確保することができなかった結果、勤務確定後に当該職員の勤務変更をせざるを得ない事態に立ち至ったものである。したがって、前示事情のもとでは被控訴人両名に対する七月一三日の勤務変更は「やむを得ない場合」に該当するといえる。

被控訴人らは、本件勤務確定後の勤務変更は事前の一括変更により対処可能であったにもかかわらず敢えて業務命令を出したと主張する。しかし、前示した事実関係によれば、右主張事実を認めることはできず、他にこれを一応認めるに足りる証拠はない。したがって、被控訴人らの右主張は採用に由ないところである。

(二)  本人の生活設計に対する十分な配慮

(1) 前記規程三三条三項にいう「本人の生活設計を十分配慮し」とは、管理者が勤務が確定した後にやむを得ない経営上、業務上の必要が生じて勤務の変更をしなければならなくなったとき、国鉄業務の円滑な遂行のほかに職員の生活設計についても十分に尊重すべきことを明らかにしたものである。ただし、ここに「勤務」とは勤務業種間の変更をいうものであり、「担務」つまり同一勤務業種内の担当作業分担の変更を意味するものではない。

すなわち、管理者は、国鉄の業務の特殊性を念頭におき、右二つの要因について当該勤務の軽重、担当業務の内容、当該職員の生活上の必要性の大小、当該職場の職員間の公平、その他諸般の事情を総合的に比較考量したうえで、当該職員に対する勤務変更の要否を決定すべきであり、右要件はその場合における裁量の判断指針を示したものである。ところで、管理者は右各事情を総合考慮する前提としてこれを的確に把握すべきことは当然である。具体的には、職員に対し勤務(業務)の重大性、変更の必要性を説明し、また職員の生活上の用事の有無を尋ねその内容を正確に理解するように努めるべきである。しかし、管理者は、更に進んで当該職員の生活設計上の用事の有無、内容を調査探索する義務のないことも事柄の性格上いうまでもない。

以上のとおりであれば、管理者は、職員に勤務変更の業務命令を発令するとき、右職員の同意を要するものでないことは勿論である。

(2) かかる見地から、梅小路駅の西部運転における操配責任者である猪之俣助役らは、その勤務変更の決定に当たり、被控訴人村西の生活設計の十分な配慮を尽くしたか否か、を見る。前示事実関係によれば、被控訴人村西は、一三日午前八時三一分に業務命令を発布した時点までに、助役に対し人活センター反対の立場から勤務変更を断ったが、自己の生活設計上の用事のあることは一度も述べたことはない。助役も用事があるかという明示的な発言はなかった。

被控訴人村西が、前示した梅小路駅での人活センター設置と職員のそこへの配置を巡る労使間の激しい対立のもと、右センター設置等による勤務変更の必要性の存在が否定し難いことを熟知し、現場当局は各職員に変更の打診をしてくることを当然視していたと見られる判示事情のもとでは、猪之俣助役らは勤務変更の理由、必要性、業務の重大性、必要性を更に説明するまでもない。また、被控訴人村西が前示発言をすると一方的に電話を切ったことから、同人の拒否の態度は強固かつ明白である特別な場合と見ざるを得なかったので、重ねて「用事があるか」という言葉を使用しなければならないとまでも言えない。右以上の打診を続けられなかったこともやむを得ない事情があったというべきである。その後、同助役は夜間に再び電話したが被控訴人村西本人に連絡がとれなかった。

このような経緯のもとで、猪之俣助役らが西部運転所属職員の各事情を検討し、普通の扱い通り申込休暇のものを尊重し、制動長の仕事の特色を考慮し、日勤のうち用事があるとは認められなかった被控訴人村西に徹夜勤務を命ずることを決定した。右選定において他に何ら恣意的な判断が介入したところは窺われない。かかる決定の過程において、猪之俣助役らは梅小路駅西部運転における全体的な諸事情を総合的に視野に入れながら、前示した意味における同人の生活設計について十分な配慮をしたものと認めることができる。

なお、付言するに、被控訴人村西は、一三日午後二時頃、猪之俣助役に用事がある旨を述べたものの、その内容を言わなかった。そこで同助役は、従来の経過から口実であろうと判断し、高原総括助役から特段の指示・連絡も受けていなかったのであるから、同日午後五時三〇分過ぎころまでは勿論、右勤務時間の終了時点まで、同被控訴人に用事のあることを知らなかったのもやむを得ないところである。したがって、被控訴人村西が勤務開始後に前示のような用事がある旨の申告をしたことをもって、右勤務を続行させるべきではない特段の事情があるときには該らない。

したがって、被控訴人村西に対する本件業務命令はその要件を具備しているものであるから、有効である。

(3) 被控訴人長谷川は、右同様の状況のなかで、一二日夜の電話では用事のあること等を述べることなく、一三日午前八時三一分に業務命令を発布した時点まで、西部運転の助役に対し勤務変更の打診に対し人活センター反対の立場から断っていた。かかる拒否の態度が強固かつ明白な特別な場合には、更に明示的に用事の有無を尋ねるまでもないというべきである。そして、被控訴人長谷川を勤務変更すべき者とした選定の事情は前示したとおり何ら恣意的なところは窺われない。

そうすると、梅小路駅の助役らは被控訴人長谷川について徹夜勤務を命ずることを決定した過程において、同人の生活設計について十分な配慮をしたものと認めることができる。

したがって、被控訴人長谷川に対する本件業務命令はその要件を具備しているものであるから、有効である。

(三)  本件業務命令の有効性

以上の次第であるから、被控訴人両名に対する本件業務命令は有効であり、この命令を前提とする本件処分は有効である。また、被控訴人らの主張は次のとおりであっていずれも理由がない。

(1) 被控訴人らは、違法無効な人活センターの設置を前提とした業務命令である旨の主張をする。しかしながら、前示四、2、(一)で認定したとおり右設置には未だ違法無効な点はないから、右主張は失当である。

(2) 被控訴人らは、一三日の本件業務命令の発令は突発性、緊急性がない旨主張するが、前示四、2、(一)で認定したとおりやむを得ない場合であるから、右主張は失当である。

(3) 被控訴人らは、人活センターへの人員配置を取り消して同人らを一三日の勤務に当てるべきであった旨主張するが、本件業務命令は右センターへの職員の配置の穴埋めのためであったことを考えるとき、右主張はそれ自体失当であるというべきである。

(4) 被控訴人らは、一三日の徹夜勤務は助役で対応すべきであった旨主張するが、前示事実関係のもとでは管理者が下位職の代務を勤めるべき特段の事情が窺われない以上、右主張はそれ自体失当である。

(5) 被控訴人らは、職員勤務基準規程三三条三項の生活設計の十分な配慮をしたというためには管理者は職員に対し右の点を問い質すべき義務がある旨主張する。しかし、前示四、2、(二)、(1)で説示したように管理者にはかかる義務はないのであるから、右主張は採用できない。

3  本件業務命令の存在と撤回について

前示三、2、(一)で認定したとおり被控訴人らに対する業務命令は発令されているのである。したがって、被控訴人らの右命令不存在の主張は理由がない。また、右業務命令は勤務開始の時点で撤回された旨の主張もまた前示三、2、(一)、(二)で認定したとおりであって、およそ撤回を窺わせる事情は見出し難い。したがって、被控訴人らの右主張は採用できない。

4  本件処分の量定

被控訴人らは、本件業務命令違反の事実と比較して処分内容が極度に苛酷であって処分権の濫用であると主張する。

前記認定の事実のほか、<証拠>を総合すれば、次の事実を一応認めることができ、他に右認定を左右するに足りる的確な証拠はない。

被控訴人両名は、昭和六一年七月一三日、いずれも一昼夜交代勤務を命じられ、これに従事していたが、午後五時二九分ころ、管理者に無断で退出しようとして助役らから注意、制止を受けたのにもかかわらずこれを無視して、職場を離脱し勤務を放棄し、もって業務の正常な運営に支障を与えたものである。これは、国鉄業務の性格や同人らの勤務内容の重大性、危険性のほか、離脱の態様の悪質さが小さいものとは到底言い難く、その影響も管理者による代務により危険の現実化を回避したことをもってこれを過小に見るべきではなく、管理者の業務が阻害されたことを含めその業務支障性は重大なものがあり、同種事案に対する過去の処分内容(無断職場離脱に対する停職六月の懲戒処分例の存在)との均衡も失していない。

右認定事実を総合考察するとき、被控訴人両名に対する本件処分は非違行為に比較して不当に苛酷であるとは未だ言えない。

したがって、本件処分が処分権の濫用であるとの被控訴人らの主張は失当である。

五  以上によれば、被控訴人に対する本件処分は相当なものであるから、被控訴人両名が主張する被保全権利の存在を一応認めることは出来ないというべきである。また、右の疎明に代え保証を立てさせて被控訴人両名の本件申請を認めることも相当でない。したがって、その余の点を判断するまでもなく、被控訴人両名の本件申請は理由がないから、いずれも却下を免れない。

六  よって、右と結論を異にする原判決は不当であるからいずれもこれを取り消し、原裁判所が昭和六二年二月一八日になした本件各仮処分決定を取り消し、被控訴人両名の本件仮処分申請をいずれも却下することとし、訴訟費用の負担について民訴法九六条、八九条、九三条を、仮執行の宣言について同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

裁判長裁判官 大和勇美 裁判官 久末洋三 裁判官 稲田龍樹)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例